美しき流れ(老荘思想と日本の心)「侘び茶の精神」
2019年4月19日
老荘思想の基本は、宇宙の根源である「道」の在り方こそ、我々人間の在り方とすることにある。
道が万物を生んだ。
ということは、そこには違いということがない。
皆、道から生まれ、道を母とする子であることに変りはない。
したがって、貧乏人とか金持ちという違いもない。
本質的には同じ道の子である。
有名と無名の違い、貴い人、賤しい人という違いもない。
少なくとも道の前に、総ての人間は平等である。
道は自らが生んだ人間を差別する様なことはない。
違いがあるとすれば、個性と役割の違いである。
したがって、人間が人間に対して威張るなど、この本質を体得していないことの証明を自ら公表している様なものである。
権力というものが何故恐しいかといえば、こうした本質を人間から失わせてしまうものであるからだ。
何故か。
権力とは、その人間の人格が力を発揮するのではないからだ。
その地位、その座る椅子に付いている力なのである。
よくよく考えれば可笑しなもので、椅子の力がそこに座る人間を使い、終(しま)いには、その人間を狂わせてしまうのだ。
お互いに椅子に使われるなどという貧しい人間にだけはならない様、肝に銘じよう。
日本の伝統文化の中には、明らかに「きれいな生き方」を求めているところがある。
それは単に、権力機構から遠退くということではない。
むしろそうした真只中にいてさえも、精神の気高さを失わない生き方を求めることにある。
茶の湯の言葉に、「市中の山居」というものがある。
これは、街中(まちなか)の繁華の中の邸宅の一隅に設けられた一坪余りの坪庭を。深い山中の庵と見立てて茶を賞味する心を言う。
こうした精神はどこから来るのか。
それこそ権力という汚泥の中においても、一人気高さを失わず、暑さの中の一条の涼風の様な存在こそが「侘び茶」の神髄と言っているのだ。
そしてそれこそ、老荘思想の説くところなのである。
社会は調和によって成り立っている。
したがって、まずその時のリーダーの大方がどの様な精神構造の持主であるかどうかによって、社会の在り様が決定される。
そういうことから言えば、「侘び茶」が権力中枢の中に深く組み入れられていた「信長、秀吉時代」は、俗に言われるよりもかなり健全な社会であったかもしれない。
したがって、その侘び茶の指導者ともなれば、更にそうした精神性を保持して生きることを強いられたと思われる。
いや、自らその奥儀の探求に集中すればするほど、むしろそうした生き方にならざるを得ないのである。
「侘び」とは、したがって、総てを整えることが出来る力と環境にありながら、そうした権力や金力を使わないばかりか、他人に示すことさえない生き方を言うのである。
侘び茶の伝わる有名な言葉にそれが良く表われている。
「正直に慎しみ深くおごらぬさまを侘びという。」
したがって、そうした生き方を実施した人こそが手本となった。
一人挙げるとすれば、それは利休ではない。
粟田口善法(あわたぐちよしのり)である。
利休の一番弟子の山上宗二(やまのうえそうじ)が次の様に評している。
「かん鍋一つにて一世の間、食をも茶湯をもする身を楽、胸のきれいなる者」
実はこの言葉は、侘び茶を育てた村田珠光(むらたじゅこう)がそう言って絶賛した文章なのだが、この言葉にまさに侘び茶の求める精神が表れている。
それは、華美で豪華な茶道具など何一つ求めることなく、一つの鍋で生活するというそうした暮しを、この上なくも楽しんで生きる、その精神の気高さにある。
無いことを楽しんでこその人生である。
何故こうした高い精神を保持出来るのかと言えば、それこそが「老荘思想」からの恩恵なのである。